信州・長野の酒「真澄」の故郷と「真澄」がふるさとの「協会7号酵母」

            信州・長野県の日本酒の雄 真澄
                         清酒 真澄 蔵元  宮坂醸造(株) 長野県諏訪市元町
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  「真澄」の故郷

  諏訪湖畔にひらけた上諏訪の町は、霧ケ峰高原や赤石山脈の豊かな自然に抱かれ、周辺には温泉が湧出するところ。
  その美しい情景は古くから東洋のスイスと称され、観光地としても人気です。
  霧ケ峰から涌き出る清らかな水、厳冬期には雫下15度にもなるという標高760mの冷掠な気候。酒造りに最適ともいえるこの地に
  「真澄」の蔵元が創業したのは、寛文二年(1662)のことでした。
  当時から「真澄」は近隣で愛飲され、諏訪で半生を送った徳川家康公の六男、松平忠輝公が座右に置いたとの逸話があります。

  昭和に入ると「真澄」は全国清酒品評会でeびたび上位に入賞し、その名が全国に知れ渡るようになりました。
  この華々しい栄誉の影には大正時代から「真澄」を支えてきた名杜氏、窪田千里氏の存在を忘れることが出来ません。
  氏は28歳の若さで杜氏に抜擢されて以釆、全国の名門蔵をまわり自分の理想とする酒に向けて研究を重ねてきました。

  そして苦闘の末に「誠実をモットーに心と米に磨きをかけろ」という酒造りの神髄にいきついたのです。
  それは外見を飾ることなく素材を吟味し、持てる技をつくして、旨い洒を醸すという「真澄」の酒造りの基本として忠実に守られています。
  諏訪大社の宝物「真澄の鏡」を酒名にちなんだ信州諏訪の美酒は、淡麗にして味わい深い飲み口。
  杯を重ねるごとに爽やかな酔い心地を誘う「真澄」もまた、地元の大切な宝といえるでしょう。

  発見から1世紀、神秘的な酵母の科学

  日本酒のもろみタンクの中で発酵しながらアルコールをつくるのが、「酵母」の働きによるとわかったのは、約百年前のことでした。
  酵母は古代オリエントやエジプトのビール、パン、ワインをはじめ古くから世界め飲食物の醸造に欠かせななかったにもかかわらず
  長い間その存在を知られていませんでした。
  17世紀のオランダで初めて酵母が見つかった時も、人々は目に見えない微生物の存在を信じることができず、発酵は自然に
  起こるのだという自然発生説が根強かったのです。

  19世妃になってようや〈、フランスのパスツールによって酵母研究の第一歩が踏み出され、日本では明治28(1895)年、
  東京大挙の矢部博士が、もろみから「清酒酵母」を発見しました。
  「サッカロミセス・サケ・ヤベ」と名づけられたこの酵母は、稲わらにいたものが米麹に移り、もろみの中で増殖していたことが、
  博士により証明されたのです。

   わずか125分の1mmの大きさで卵形の酵母は、糖分を食べてアルコールをつくりながら、増殖していきます。
   肉眼で見えませんが、酵母の一種は桜や稲などの花にもついており、私たちの身近な自然界に存在します。
   老舗蔵には、昔からそこだけに棲む「家つき酵母」がいるといわれます。
   矢部博士の発見以降明らかされた酵母は、酒造りの担い手Jに大切に守られてきたのです。
  
  「真澄」酵母、協会7号は全国へ

  清酒酵母の研究がすすみ、明治37(1094)年には国立醸造試験場が設立されました。
  当時の最初の研究課題は、優良酵母の選択でした。
  「良い酒は良い酵母から」とのテーマのもと、この2年後の明治39年には東京大学の高橋博士らが「灘」「伏見」「広島Jなど
  国内の銘醸地をまわり酵母を集めました。
  そして明泊40年に結成の(財)日本醸造協会を通じて、優秀な酵母が各地の蔵元へと頒布されるようになりました。
  ごれらは協会推薦の酵母として、認定番号で呼ばれます。

  中でも「真澄」の蔵元から分離された酵母は、現在も全国半数の蔵元で使用されて
  います。これが、その名を知らない酒造家はないとさえいえる、香り高き協会七号酵母です。
  「真澄」の仕込み蔵に飾られたレリーフに刻まれる「七号酵母誕生の地」の文字。
  蔵一同の誇りが、ここに表現されているようです。

  
                       〜日本名門酒会パンフレットなどから引用しています

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